歴史は、13世紀、神聖ローマ帝国フリードリッヒ2世の時代に遡ります。薬物による暗殺が横行していた当時、これを恐れた彼は、主治医に自身の薬の調合をさせず、別の者にチェックさせていました。そして1240年頃、フリードリッヒ2世により医師が薬局を持つことを禁ずる法令が公布されます。
これが、医薬分業の起源でした。日本において医薬分業が導入されたのは、明治の世になってからです。1889年に薬律という法律が制定され、「薬剤師とは薬局を開設し医師の処方せんにより薬剤を調合する者をいう」と規定されます。
この法律の制定とともに、この呼称が用いられることとなりました。そして、かかる規定により、日本における医薬分業が始まります。それまで日本では、医薬兼業が一般的であり、医師が薬剤の調合も行っていました。医師は「薬師」と呼称され、診療代のことも薬代と呼ばれており、新たに導入された医薬分業はおおよそ受け入れがたいものであったようです。
医師の収入とはすなわち薬代であり、薬が販売出来なくなる点で多くの医師の反発を招きました。結局、圧倒的な人材不足と相まって、薬律制定当時に医薬分業は徹底されませんでした。そして現在、我が国では毎年8000人程の薬剤師が誕生しています。
彼らが一翼を担う医療制度は、医師と彼らの協力を不可欠の前提としています。それこそが人々の医療機関に対する信頼と、薬害から人命を守ることに繋がるはずです。